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エジプト人の真似は決してしない~ターキッシュベリーダンスが“クール”な理由

写真/ネスリン・トプカプ(左)トゥライ・カラジャ(右)‐Oryantal Göbek Dansı( Kemal Özdemir)

●ターキッシュダンサーはジルが命
トルコのダンサーの特徴をざっくり言うと、高いヒールの靴を履くこと、多くのステップで踊ること、ターンを多用することでしょうか。よくフロアワークがターキッシュスタイルと言われますが、これはエジプトで宗教上禁じられていたためトルコで際立った結果といえるでしょう。
そしてもう一つの大きな違いは、トルコではジル(サガット)を重んじるということ。トルコではかつて「ジルが使えないダンサーは一流ではない」と言われたほどです。ジルが上手いトルコのダンサーといえば、「ジルの女王」と称されるトゥライ・カラジャ(Tulay Karaca)。彼女は常にジルをつけてステージに登場し、ときおりバンドが演奏を止めて自ら打ち鳴らすジルのリズムだけで踊るパートもあり、それは目を見張るような見事な見せ場となっています。

また、トルコのダンサーの衣装の際どさはびっくりするほどです。ストリップまがいの衣装でフロアワークを踊る姿をみると、ざわめいた気持ちになる人も多いでしょう。エジプトでも同様ですが、トルコの場合はよりあからさまでした。政教分離で政府がうるさく規制しなかったためといわれます。実際、オリエンタルダンサーはジプシーや旅芸人など低下層の環境に生まれた女性が多く、生きていくために踊らなければいけなかった人もたくさんいました。トゥライ・カラジャもネスリン・トプカプ(Nesrin Topkapı)も母親がダンサーだったため、自分も自然と踊ることになったと語っています。
トゥライ・カラジャは優れたダンサーですが、ステージ上ではあまり笑顔を見せません。これは媚を売るような素振りを見せないという自然な表現だったのでしょう。トルコではむしろそれがクールとされました。70年代頃まで、社会でのオリエンタルダンサーというのは、非常に微妙で危うい立場だったのです。

●流れを変えたネスリン・トプカプ
そういう流れを変えたのがテレビの普及でした。トルコでは毎年大晦日の夜は決まって家族全員でテレビの前に座り、ダンサーが登場するのを今か今かと待ち構えていたといいます。日本での紅白と同じですね。その始まりが1970~80年代に活躍したネスリン・トプカプでした。
彼女は家族みんながダンスを心地よく楽しめるように、インドのサリー風に片肌を隠し、露出を抑えた衣装でテレビ画面に登場したのです。それだけではなく、ネスリンの無垢な表情や音楽に合わせた振付(トルコのダンサーはあまり音に合っていないことが多い)は見る者の心を溶かしました。それまでオリエンタルダンスに眉をひそめていた女性たち、家族の目を忍んで密やかに楽しんでいた男性たちも、堂々とネスリンのオリエンタルを楽しめるようになったのです。私がトルコで会った年配の女性の多くは「ネスリンは他のオリエンタルダンサーとは違うのよ。良い人なの」と決まって言いました。
その後はアセナ(Asena)、タンエリ(Tanyeli)、ディデム(Didem)といったスターダンサーがテレビを中心に人気を博しました。

●音楽の違い
トルコのオリエンタルはエジプトから輸入したものです。そのため、トルコのオリエンタルダンスで使用されている音楽をよく聞くと、エジプトのものに比較して非常にバリエーションが限られていることがわかります。

トルコ人が好むのは主にシフトテリのリズムで、最初から最後までずっとシフトテリという曲もたくさんあります。しかも結構早いテンポです。そもそもシフトテリ(トルコではチフトテッリ)の起源はエジプトではなくバルカン半島だと言われます。演奏するバンドがジプシーたちの場合、リズムはほぼシフトテリ、そしてローマン(9拍子)です。なぜそうなるかというと、ジプシーがそれしか知らない、もしくはトルコ人がそれ以外のアラビックリズムに馴染みがなかったからではと思います。ちょっと前までは、トルコで売られている、見るからに安っぽいベリーダンスCDのほとんどがこの類でした(インターネットが普及する前の話)。

トルコ人の中には、オリエンタルダンスがエジプト起源であることも知らない人がいます。輸入されて数100年も経っているし、一般の人はあまり興味もないのです。地理的に近いにも関わらず、トルコにはアラブ音楽はほとんど輸入されません。私はネスリン・トプカプに「ダンスに使う音楽がないの。エジプトで買ってきて」と言われたことがあります。
つまり、トルコのオリエンタルダンス音楽というものは厳密にはほとんどありません。エジプト、アラブの音楽を使用したものがオリエンタルであり、トルコ独自の民族的な音楽を使用する場合もありますが、オリエンタルのための音楽はエジプトとは比にならないほど少ないのです。

●アラブ音楽はできるだけ使いたくない?
ターキッシュオリエンタルとは?と改めて考えると、一言で表現するのがとても難しいことに気づきます。ネスリン・トプカプのスタイルとトゥライ・カラジャのスタイルには、明らかに違いがあり、どちらが正当でも亜流でもありません。ダンサーはそれぞれ、自分の体の使い方やフィーリングに合わせて音楽を表現しているに過ぎません。
ネスリン・トプカプやトゥライ・カラジャの素晴らしさは、その動きがすべて、どこを切り取っても美しく調和されていることです。ターンに入るときの目の動き、動きが切り替わるときの何気ない仕草、ふとした瞬間に見せる笑顔…彼女たちの一挙手一投足が私たちの目を釘付けにします。ダンサーとは難しいテクニックを見せて唸らせるだけではなく、すべての動きが調和しているからこそ見るものをうっとりさせるのだと感嘆させられます。
興味深いのは、彼女たちがエジプト人のオリエンタルをそれほどには踏襲していないということです。エジプトに行くことはとても難しかったし、ましてやネット環境のある今と違って映像も簡単には手に入りませんから、トルコのオリエンタルはある意味、独自の発展をしてきたのです。そこが、輸入されて数100年の違いといえるかもしれません。私たちが必死にエジプト人を真似てきたのとは大きな違いです。

エジプトでホームステイをしていたとき、トルコのオリエンタル動画を見せたらエジプト人たちはこう言いました。「やっぱりトルコのオリエンタルはクールだわ!エジプトのはドンキー(田舎くさい)ね!」
これを聞いて私は驚きました。なぜならトルコのオリエンタルの貧しさを感じていたからです。1ステージでは勝負できても、数を重ねていくとどうしてもトルコのオリエンタルには限界があります。トルコ人ダンサーは外見の美しさ、洗練された衣装、都会的な雰囲気といった面ではエジプト人を唸らせるものがありますが、大事な要である音楽に大きな弱点があると感じていました。世界中の人がエジプトに来てオリエンタルを習っているというのに、トルコ人のダンサーはほとんどエジプトに来ないのです。

でも逆に考えると、本場と距離を置いているからこそ、トルコのオリエンタルは“クール”と言えるのかもしれません。トルコのベリーダンスショーでは、それほどアラブ音楽を使いません。バンドもアラブ音楽のレパートリーが少ないし歌手もいません。ましてやアラビア語のバラディやシャービィを踊るなどトルコのオリエンタルダンサーにはありえないのです。ダルブッカソロを多用するのはアラブ風を避けるためでは?と思われるほどです。でもだからこそ、逆説的に私たちはそこにターキッシュスタイルを感じているのでは?ということにハタと気づきました。

トルコではオリエンタルダンスは前時代的なものになり、トルコ人はアラブ的なものからどんどん離れています。そもそも遊牧騎馬民族でモンゴル方面から来たトルコ人は、かつてはアラブの帝国が強かったからイスラム化したのであり、すでに近年はより強い欧米のほうに関心が移っています。音楽もダンスもどんどん西洋化しています。西側諸国に反感を抱きながらも、アラブと一緒にされるのもイヤ、というのがトルコ人です。

今後も美しく完璧なトルコ人ダンサーは誕生してくるでしょう。ただし、彼女たちはアラブ的な音楽では成功しません。トルコ人はアラブ音楽でどう踊ったらよいのかわからないのです。どんな音楽を使うか、きっとトルコ人ダンサーたちは模索していると思います。エジプト人の真似は決してしない、それがターキッシュダンサーの“クールさ”なのかもしれません。

 

https://www.youtube.com/watch?v=lPpA05fOtxk

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