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〈ベリーダンサー伝〉モナ・サイード

モナ・サイードは1970年代から80年代に活躍したエジプト人ダンサー。アフリカ系アラブ人で褐色の肌をもち、「ナイルのサマラ(褐色の美女)」とも呼ばれました。175センチの長身で抜群のスタイルをもち、決して音をカウントせず、音楽を心から楽しみ、うっとりするほど音と一体になって踊るのが何といってもモナの素晴らしさです。
スエズに生まれ、13歳でダンサーを目指してカイロに出ると、すぐさまナイトクラブからオファーが来るほどの才能と美貌の持ち主でしたが、彼女の父親は娘がダンサーになることは一家の恥として、彼女を「殺す」とカイロに追ってきました。そのため母親は彼女にエジプトを出ることをすすめ、モナはレバノンへ飛びます。
1970年から75年まで、モナは世界で最も大きな「カジノ・レバノン」で踊り、ダンサーとして一躍名を馳せます。モナは富と名声を手にし、家族の生活を支えるほどになりました。父親とは彼が死ぬ前に一度会ったといいます。その間、モナは母親、姉妹とともに暮らしていました。当時のアラブ社会(特に田舎町)では、父親はそうした態度に出るしかなかったのです。
1975年にモナはカイロに戻り、メリディアンホテル内にナイトクラブをオープン。その後ロンドンのナイトクラブと契約し、1976年から80年までロンドンに滞在。その後もカイロのシェラトンホテルにナイトクラブを開き、ロンドンとカイロを往復する生活を送りました。
モナは家庭的とされる蟹座生まれで、ロンドン滞在中にインテリアデザインを学び、晩年はエアロビクスやダンスルームを兼ねたフィットネススタジオを開業したりもしました。モナの最初の結婚相手はレバノン大統領の息子でした。彼が、モナが有名になるのに大きな力を発揮したことはいうまでもありません。その後、モナは7回結婚し、すべての男性は裕福な男でした。インタビューでモナは「私は男が好きなの」と答えたそうです。彼女に踊ることを禁止した男性は1人もいませんでした。
https://youtu.be/AX7-9iu12hg
参考:The best of Habibi, Shareen El Safy

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