民族舞踊 フォークロア

エジプト・トルコ

エジプトの民族舞踊

ベリーダンス発祥の地エジプトはアラブ世界の中でも芸能の中心地と言われます。音楽、踊り、映画などアラビア語圏の各種エンターテイメントはエジプトで盛んに生産され、多数の歌手、ダンサー、俳優など優れたアーティストが存在します。エジプト人の陽気でエネルギッシュなキャラクターや社会性も、こうした豊かな文化を育む土壌をつくっているといえるでしょう。

民族舞踊の人気も根強く、今も映画やテレビ番組では民族舞踊が披露され、舞踊団は各地のイベントでステージに立ち、ときには海外の公演にも招聘されます。エジプトの民族舞踊は華やかで生き生きとしているので場を盛り上げる勢いがあります。いくつかの国立民族舞踊団がありますが、レダ民族舞踊団、エル・コーメイヤなどが代表的です。

民族舞踊はエジプト各地に古代から伝わってきたもので、主に結婚式やお祭りなどのセレモニーで欠かせないものとして発展してきました。しかし、かつてはこうした踊りはその土地だけに限定されていたのです。レダ民族舞踊団を設立したマハムード・レダがエジプト各地の民族舞踊を調査・研究し、ステージ芸術として完成させ、さらにテレビや映画などの映像技術が発達したことで、これらの土着的な踊りがエジプトの舞台芸術として花開きました。

エジプト南部の踊りサイディ、地中海地方のアレクサンドリアン、紅海沿岸のマンブーティ、エジプシャンジプシーの踊りガワージー、ヨーロッパ文化 と混合したモアシャハット( アンダルシアン)…。音楽や衣装もさまざまで、それぞれの地方の特色があります。

ベリーダンスには、こうした民族舞踊の動きをルーツにしたものが多く、それをさらに洗練して女性的にしたものも多く含まれます。そのため、民族舞踊を知らずにベリーダンスは踊れないと言われることもあるほどです。

エジプト以外のアラブ諸国の踊りもここには含まれます。アラビア湾岸地方の踊りハリージや北アフリカの砂漠の民ベドゥインの踊りなど、そうした伝統的な動きを入れることでベリーダンスはより深みのあるものになり、アラブ人の心に響く踊りとなります。

トルコの民俗舞踊

トルコはよくアラブ諸国と混合されがちですが、トルコ民族の起源はモンゴロイドであり、アラブ人とは民族的にも言語的にも歴史的にもまったく異なっています。かつてモンゴル平原に居住していた遊牧騎馬民族のトルコ人が移動を繰り返し、現在のアナトリア地方に国を築きました。

トルコの文化が最大に花開いたのはオスマントルコ帝国時代です。オスマントルコは周辺国を征服しながらイスラム化し、拡大したため、また元々のトルコ民族が遊牧騎馬民族だったため、何世紀にも渡って移民たちが移動し、各地の文化を織り交ぜ、混血を繰り返して発展してきました。

そのため、トルコには多彩な民族舞踊があります。黒海地方のホロン、西部地方のゼイベック、地中海地方のシリフケ、中部地方のカシュック(スプーン)、東部のハライ、ジプシー(ロマ民族)の9拍子の踊り、バルカン地方の踊り、コーカサス(カフカス)地方の踊り…。これらは厳密には区分けが難しく、すべてがミックスして各所に散らばっています。

トルコでも民族舞踊は大変盛んで、各地に夥しい数のアマチュア民族舞踊グループがあり、 国立民族舞踊団 Anadolu Ateşi(Fire on Anatoria)も活発に活動しています。トルコ人は誰もが小学校で民族舞踊を習い、結婚式やお祭りでは家族で民族舞踊を楽しみます。

このようにトルコにはいわば多くの異国文化がモザイクのように存在しているのですが、その中のひとつがエジプトから取り入れた ベリーダンスOryantalです。イスタンブールのナイトクラブのベリーダンスショーでは、容姿端麗なベリーダンサーのステージの合間にトルコ各地の民族舞踊が披露されるのがお決まりです。

ベリーダンスがトルコのものと勘違いされることも多いのですが、数ある舞踊のモザイクの中でも、ベリーダンスの輸入は比較的新しいものです。こうした歴史や文化的背景を知ることで、トルコの多彩な踊りはより楽しめることでしょう。各民族が混在する懐の深さこそ、トルコの面白さなのです。