Tukish Gypsy Dance

トルコのジプシーダンス

多民族国家トルコには、流浪の民と呼ばれるロマ(ジプシー)民族がたくさん暮らしています。多くの場合、彼らは物売りや音楽の演奏、占いなどで生計を立てています。

彼らは彼ら自身をRomanローマンと呼びます。一般にGypsyジプシーという呼び名は蔑称であると言われますが、トルコでは「Çingeneチンゲネ」という蔑称のほうがより差別的であるため、ジプシーという言葉はロマンチックな外来語のように感じるようです。そのため、ここではあえてジプシーという言葉を使用しています。

トルコのジプシーたちは各都市の片隅に集落をつくって暮らしています。イスタンブールの観光名所のすぐ近くにも、実はジプシーたちの街がありますが、観光客も一般のトルコ人も滅多に足を踏み入れることはありません。概してジプシーたちは貧しく、外部のものに対する警戒心も強い傾向があります。もちろん差別も根強いものがあります。

そんな中でも、街ごとにジプシーオーケストラがあり、イベントやベリーダンスショーで演奏活動をしたり、テレビ番組に出演したり、ときには有名レコード会社からCDをリリースすることもあります。トルコでは、差別がありながらも彼らの音楽的才能はそれなりに評価されているといえます。

Ahırkapı Büyük Roman Orkestrası

トルコのジプシー音楽といえば9拍子。RomanローマンまたはDokz Sekizドクスセキスと呼ばれる9拍子の音楽は、ときには軽快でアップテンポに、ときにはゆっくりと重厚なリズムを刻みます。このリズムが流れるとジプシーたちは彼ら独自のステップを踏み、腰や腹で音楽を感じながら独特な雰囲気のダンスを踊ります。

トルコのジプシーダンスには彼らの日常生活が織り込まれているといわれます。洗濯や粉を挽く動作、バイオリンを弾く動作、そしてお互いをけん制しケンカをする仕草などです。ジプシーたちのシンプルで本能的な生き方を表現しているといえるでしょう。

また、歌詞の内容も非常に単純なものが多く、それゆえにトルコ人のなかには「ジプシーの歌は食べ物とお金のことだけ」と馬鹿にする人もいます。もちろん愛や人生を歌ったものもあるのですが、彼らは一種のジョークとして日常のとるに足らないことを歌にするのです。それは、彼らが苛酷な人生を笑い飛ばすための知恵なのかもしれません。

ジプシーは何世紀も前にインドのラジャスタン地方から西の方面へ逃れたといわれ、そのためインドより西に多く存在しています。その土地で生活していくために、その土地の音楽を演奏し、それが自然に自分たち風になってジプシー音楽と呼ばれるようになりました。

彼らが自分たちの歴史を語らないため、詳細はわからないのですが、9拍子のリズムというのはバルカン半島が起源なのかもしれません。バルカン半島にこのリズムの音楽があること、トルコの西部に多数のジプシーの集落が集中していることからの推測ですが、確証はありません。この地域は古くから多くの人が行き来していたため、音楽や文化も入り混じっているようです。

しかしトルコのジプシーはこの9拍子を実に多様に、そしてカッコよくアレンジして独自のスタイルにしてしまいました。ジプシーオーケストラはダルブッカ(太鼓)、ダウル(大太鼓)、バイオリン、ズルナ(笛)、ウード(弦楽器)、カヌーン(琴に似た弦楽器)などで編成されますが、なかでも花形なのがクラリネットです。トルコではSelim Seslerセリム・セスラーをはじめ多くの有名ジプシークラリネット奏者が活躍しています。

ちなみにトルコのベリーダンスでは8拍子のÇiftetelliチフトテッリを多用しますが、Çifteとはトルコ語で「1対の」という意味があり、元はペルシャ語だということですが、これも起源の詳細はわかりません。音楽や踊りのルーツを辿ることはいつも困難です。ただ、長い歴史の間でジプシーだけでなく人々の移動がたくさん起きた結果、今の音楽があるということのようです。

もしジプシー音楽を手始めに聞くとしたら、Bulhan Öçalブルハン・オチャルあたりがおすすめです。彼はジプシーではありませんが、トルコ西部トラキヤ地方のkırklareliクルクラーレリというジプシーが数多く居住する街で育ったミュージシャンです。Bulhan Öçal&Trakya all stars 「Oynamaya Geldik」には聞きやすくアレンジした典型的なジプシー音楽が多数収録されています。

かつてイスタンブールにはSulukuleスルクレというジプシー居住区があり、そこにいけばジプシーの音楽と踊りがたっぷり味わえるという伝説的な街だったのですが、2008年に治安の悪化を理由に撤去されてしまいました。人々が酒を飲み、ミュージシャンとダンサーを呼んで楽しむ場所でしたが、売春なども行われており、一般のトルコ人はあまり近寄らず、いかがわしい危険なエリアとされていました。

トルコではベリーダンスをオリエンタルoryantalと呼びますが、ギョベッキダンスGöbek dansıと呼ぶこともあり、これはまさに腹の踊りベリーダンスという意味です。トルコのベリーダンスは、ときにジプシーダンスを盛り込むこともあります。これは、保守的な時代にダンサーとして仕事をしたのが主にジプシーだったことから、ときにジプシー風を踊るパートが入るようになったのでしょう。

ジプシーの居住区で開かれるセレモニーを訪れると、プロ顔負けの技術を持った踊り手がたくさんいることがわかります。トルコのベリーダンサーにはDidem、Sibel Can(今は歌手)などのジプシー出身者がいますが、不思議なことにその数はあまり多くありません。

踊りの上手い優れたジプシーダンサーがなかなか生まれない背景には、彼らが根強く家父長制を守っていることもあります。ジプシーの女性の多くが今も10代後半で結婚し、夫の庇護のもとで暮らさなければいけない状況にいます。彼女たちが表舞台で活躍し、芸術家として評価されるためには、まず夫や父親の理解がなければいけないのです。それは、踊ることが売春的な行為と結びついていた時代の残影が、まだ男性たちの頭に残っているからでしょう。

ジプシーたちは昔から「法の外」で生きる人々であり、その自由さゆえに音楽と踊りの才能は常識の枠を超越した輝きがあったのですが、時代の流れで彼らも生活を変えざるを得ない、もしくは好んで変えていく者も増えています。よりよい生活を求めて会社に就職するジプシーもいて、最近では音楽もネット化でより簡単に手に入るようになりました。ミュージシャンの需要も減りつつあります。

時代は日々変化しています。ジプシーたちも変わらざるを得ない状況で、かつての危険までに魅惑的な音楽と踊りが変貌しつつあることも事実です。そこに光を当てるのは、ジプシー音楽とダンスを心から愛する人々の心なのかもしれません。

 

2007年のジプシーフェスティバルで踊ったReyhan。トルコの テレビ番組 “スター誕生”oryantal starで優勝した貴重なジプシーダンサーだったが活動期間は短かった