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魂の世界からのメッセージ・その②~ツインソウル

前回のブログ「魂の世界からのメッセージその①」のつづきです。

セッションをすがすがしい気持ちで終え、家に帰ってから、奇妙なことに気づきました。スージーはセッションの録画とカードを写真に撮ることをすすめてくれたのですが、よくよくカードを見てみると、カラスのカードとイタチのカードに描かれているアクセサリーがまったく一緒なのです。私も他の家族もみんなバラバラなのに、この2人のカードだけが一致しているのです。

いすゞさんに聞いてみると、「不思議よねぇ。普通は仲の良いパートナーとかに現れる現象なんだけど」と。どうやらスージーといすゞさんはあの場で気づいていたらしいのですが、私はそのときはまったく気づいていなかったのです。

とっさに浮かんだのは“ツインソウル”という言葉でした。もしかしたら、父とイタチはツインソウルとして、お互いに学びあうために、何度も人生をともにしているのかもしれないと。そう閃いた瞬間に、私の中で何かが一気に広がっていく感じがしました。自分が身体から抜け出して、宇宙を俯瞰するような感覚といってもいいかもしれません。

ツインソウルは出会ってはいけない関係ともいわれ、その出会いは必ずしも幸せをもたらすものではなく、ときには破滅をもたらすともいわれます。それでも、何かを学ぶために、2人はそれを選択して生まれてくるのだそうです。

父はいつもどこか孤独感を漂わせているような人でしたが、もしかしたら父はツインソウルと出会うことで、束の間ではあっても孤独が癒されたのかもしれません。私たち家族にはわからない、父の別の側面があり、その面ではツインソウルと深い部分で共有できる部分があったのでしょう。だから危険を感じながらも、父はその関係に足を踏み入れていったのかもしれません。

私は何か大きなことに気づいてハッとしました。父の魂は深いところでカルマの法則を理解し、自ら選択してその人生を生きたのだということ。そして父を騙した人もまた同じであり、2人は助け合っているのだということ。そして私や母もまた、それを理解して協力するために家族として生まれてきたのだということ。すべては完璧だったのです。

このことに気づかされたことで、私は本当の意味で父への執着を捨てることができました。それからは、父のことを思い出すことが苦痛でなくなり、昨年はようやく古いアルバムを整理することができました。長い間、父の思い出は苦痛に満ちたものでしたが、最近は父が優しかったことや、楽しい思い出も頻繁に浮かぶようになり、父への愛しさや絆を深く感じるようになったのです。それはもしかしたら、悲しい出来事がなかったら感じられなかったものかもしれません。

スージーもいすゞさんも、「前世の話は夢物語と思って聞いてね」と言います。大変失礼な話ですが、私も数日後、あれは本当の話なのだろうか?という思いがよぎったりもしました。でも、医者でさえ身体のことをすべては知らない今の世の中で、人間の魂を本当に知る人が果たしているのでしょうか。解剖学や脳科学や心理学、宗教でさえも、人間やこの宇宙のすべては解明していないのです。わかっているのは、前世や輪廻転生の真実は誰にもわからない、ということだけではないでしょうか。

前世というものは、ワンネスの記録にあるアーカイブのようなものだと聞いたことがあります。そうだとしたら、私が父の体験や感情をまるで自分の体験や感情のように感じたことの理由がわかる気がします。そういう意味で、私は家族の中で最も父とつながっている人間でした。

今、私たちは“ルールを知らないゲーム”の中にいるようですが、実はあえてルールを忘れてゲームの中に入ったのだそうです。なぜなら、ルールを知っていてゲームをしても、“面白くないから”なのです。

というのも、実は父が亡くなる数年前、私は毎晩祈っていたのです。「私は強い人間になりたい。私に試練を与えてください」と。今思えば、なんとおめでたい、世間知らずな願いでしょうか。そうして、願いどおりドカンと大きな試練がやって来たのです。それまでの私は冒険校の受験に成功し、享楽的な大学生活を満喫していましたから、まさに急転直下でした。

願いどおり強くなれたのかは疑問です。でも、父の件で私は心に闇を抱え、その後の長い年月はその闇とともに生きることになりました。消化しきれない悲しさが身体に記録を残していきました。その苦しみがあったから、私は最終的にアレクサンダー・テクニークに出会ったといえるのです。

私は小さい頃から父にそっくりだと言われていました。顔や風貌、性格、生き方も、そして最近強く感じるのは身体の使い方です。自分の身体の使い方に向き合っていくと、ときどき父のことを思い出します。自分を苦しめている思い癖やネガティブな執着にひとつずつ気づいていく。それはまるで、父が人生でやり切れなかったことを私が受け継いでいるように思えるのです。

亡くなった人のやり残したことをやり遂げることが、その人への最高の供養であると、あるメッセンジャーの方に聞いたことがあります。父と過ごした年月よりも、その後の人生のほうが長くなり、今やっとその意味がわかり、父と過ごした長くはない年月を愛しく思えるようになりました。

スージー、いすゞさん、そして出会ったすべてのメッセンジャーたちに感謝をこめて。皆さんの尊い仕事に敬意を表します。

★スージーの魂のセッションに興味のある方は遠慮なく私までご連絡ください。あるいは、コーディネーターのいすゞさんに直接お問い合わせください。オンラインでのセッションも可能だそうです。

https://www.facebook.com/isuzu.takeuchi.5

Fatima(大島ふみこ)

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